2013年10月9日水曜日

必見!スペインセビリアの見方が5度変わる歴史旅2

アンダルシアの写真
コルドバ メスキータ 
1013年、ムラービト朝の下では、ユダヤ人コミュニティは散々な目にあうようです。イスラム勢力といってもその性格はできた場所や構成員によって異なります。

北アフリカのいわゆるベルベル人の中にイスラムの政教一致を求心力として新しく征服活動の熱にほだされた人たちが出現するわけですが、その一団は北上し、イベリア半島に雪崩れ込むのでした。

前述したマラケシュはこの時王宮として整備され、中心地となったのでした。先のブログしたクトゥビーアもこの辺りにできたマスジド(モスク)なのです。

セビリアは、コルドバ等から逃げてくるユダヤ人の避難場所を提供することになったのです。やがて、ベルベル人の征服活動も熱が冷めていくんですが、ラクダにまたがったり、馬にまたがったりすると、なんとなく、自分がどこへでも行けそうな、なんでもできそうな感じになるんですね。さらに、仲間が大勢いれば、「それー」なんて言って、他の街になだれ込んていって、征服だ~となってしまうのでしょうか。

クリスチャンスペイン人にとっての「モーロ」の凶暴で残忍なイメージはここらあたりの歴史から連綿と続いているのでしょう。ただ、「モーロ」といっても、ここがまた複雑なところでもあるんですが、モロッコにはいわゆるアラブ人とベルベル人とがいて両者は区別されています。現在もアラブ人にはイスラム法が適用されますが、ベルベル人には独自の慣習法が適用されています。

スペインとモロッコの関係もなかなか複雑なものがあります。クリスチャンスペインにとって1492年レコンキスタが完了するまでの約700年というのはひたすら長い時間ですね。共通の文化的遺産(例えば、前述ブログのセビリアのヒラルダの塔とマラケシュのクトゥビア)を持ちながらも、お互い、相容れないものもかなりあるのですが、そのへんの事情もおいおいブログしたいと思います。隣国同士というのは、どこでも、事情が似通ってきますね。


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