タンジール。タンジェ。طنجة、いくつもの表記があるモロッコの玄関口、国際都市ですが、港をでると、やがて、広いとおりに出て、かつては、すぐ左手に駅が見えてきました。タンジェポール(tanger port)だったとおもいますが、ここから列車に乗って、フェス、ラバト、カサブランカ、マラケシュとモロッコの奥へ奥へと入っていくことができました。今は、タンジェビル(tanger ville)が最初の駅になっているようです。物流の拠点が東のタンジェの新港タンジェメッド(tanger med)に移ったからなんですね。モロッコも経済活動が着実に拡大しているようです。
タンジェポール駅の反対側に、シェリタリングスカイでも登場した古い建物が見えてきます。フランス保護統治時代、映画カサブランカを思い出させる印象的な白い建物です。 その裏手のほうはずっと小高い丘になっていて、旧市街に入ります。プチソッコやグランソッコという名前が出てきますが、ソッコはアラビア語のصوق・ souk・スーク・市場が転訛したものです。ここは、昼は、観光客相手の土産物屋が並んでいて楽しいです。タンジェの街は、夜は夜で別の顔がありますね。。。。。。。
また、グランソッコから港に通じるRue Siaghine はその昔、紀元前のローマ時代はメインストリートだったよです。今は、メイン通りとはまったくいえませんが、Hotel El Minzahという5つ星ホテルがあります。この近くには1860年から1923年までナーイブ نائبが使用していた屋敷もあります。ナーイブは起源はオスマントルコ行政ポストを示す名称ですが、その地方地方を治める力のある人物がなりました。モロッコでもナーイブは、スルタンと各国大使の間を取り持つ偉い人が就く重要なポストでした。
ナーイブの力を示す絵や写真が残っていますので、今でも雰囲気がわかります。 下の絵は、カルナチック(インド南東部の海岸地方。18世紀中ごろ、 英仏が主導権をめぐって抗争し、英国が支配権を得た)のナーイブが英国東インド会社との条約を締結した場面ですが、とっても偉そうですね。
タンジェポール駅の反対側に、シェリタリングスカイでも登場した古い建物が見えてきます。フランス保護統治時代、映画カサブランカを思い出させる印象的な白い建物です。 その裏手のほうはずっと小高い丘になっていて、旧市街に入ります。プチソッコやグランソッコという名前が出てきますが、ソッコはアラビア語のصوق・ souk・スーク・市場が転訛したものです。ここは、昼は、観光客相手の土産物屋が並んでいて楽しいです。タンジェの街は、夜は夜で別の顔がありますね。。。。。。。
また、グランソッコから港に通じるRue Siaghine はその昔、紀元前のローマ時代はメインストリートだったよです。今は、メイン通りとはまったくいえませんが、Hotel El Minzahという5つ星ホテルがあります。この近くには1860年から1923年までナーイブ نائبが使用していた屋敷もあります。ナーイブは起源はオスマントルコ行政ポストを示す名称ですが、その地方地方を治める力のある人物がなりました。モロッコでもナーイブは、スルタンと各国大使の間を取り持つ偉い人が就く重要なポストでした。
ナーイブの力を示す絵や写真が残っていますので、今でも雰囲気がわかります。 下の絵は、カルナチック(インド南東部の海岸地方。18世紀中ごろ、
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A portrait of Azim-ud-Daula by Thomas Day |
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